『金』というのは、案外身近な存在ですよね。金で出来たアクセサリーを持っているという人もいるでしょうし、それだけでなくテレビ番組や漫画などで使われることも少なくありません。まず、金という存在を知らない人がいませんよね。そういった意味では、身近な存在と言える金ですが、意外と奥が深い歴史があるってご存知でしたか?実は、遥か昔から、私たち人類と関わりのある金。今回は、そんな金の歴史についてお話していきたいと思います。

金と言えばどこの国を思い浮かべる?

さて、みなさん『金』と聞いてどこの国を思い浮かべますか?おそらく中には、『日本』と答える人も多いのではないでしょうか。何を隠そう、日本は『黄金の国ジパング』と呼ばれていたくらいですからね。ちなみにジパングは、『日本国』を中国語で発音した音が語源となっているんですよ。

さて、この『黄金の国ジパング』、なぜそう呼ばれるようになったのでしょうか?それは、マルコ・ポーロの旅行記『東方見聞録』で紹介したことがきっかけとなっているようです。この東方見聞録では、ヨーロッパに日本のことを『黄金の国ジパング』として紹介したのです。

ところが実際には、マルコ・ポーロは日本には訪れていないとか。何と中国で耳にした噂話という形で東方見聞録に収録したそうです。ちなみにどんな噂話だったのでしょうか?

「ジパングは、カタイ(中国大陸のこと)の東側の海に浮かぶ独立島国だよ!」
「大体カタイから1,500マイルほどのところの海に浮かんでいるらしい!」
「かなりの金の産出国だって聞いたよ!」
「宮殿とか民家でさえ黄金でできているって聞いたなぁ!」
「ジパングの人たちは、偶像崇拝者なんだってさ。」
「ルックスが良くて礼儀正しい人が多いみたいだよ。」
「人食いの習慣があるらしいよ……。」

嘘か真かこんな噂話を、マルコ・ポーロは耳にしたのです。奥州は金産地だったことや中尊寺金色堂などから、黄金の国というイメージがあったという説もあるようです。ちなみに人食いの習慣があるなんていうのは、真っ赤な嘘です。どこからそんな噂が流れたのか……こわいですね。

金といえばやっぱりエジプト?

『黄金の国ジパング』の話をしましたが、これはあくまでマルコ・ポーロが中国で耳にした噂話ということがわかりました。金と関わりのある国としては、そんな日本の他にもエジプトが挙げられます。エジプトもやはり、黄金をイメージしやすいですよね。その理由として『ツタンカーメン』があります。このツタンカーメン、何と作られたのは、今から3,000年以上も昔だそうです。

古代エジプトにおいて、金というのは高価で尊いものという扱いでした。当時の人々にとっては、非常に貴重な資源だったため珍重されていました。しかしその金に対する扱いも徐々にエスカレートしていき、次第に一般市民は金を持つことさえできなくなるのです。

「金は神から王へと与えられたもの」
市民が持っていた金はすべて押収され、エジプト王であるファラオに捧げられるのでした。集められた金の量は、それはそれは膨大な量で、日本円にして何と2億円以上。おまけに当時の金を採掘する方法としては、『砂金採り手法』という方法が主流でした。一度の作業でほんの少ししか採れない方法でしたので、かなりの労力が使われたはずです。ファラオのツタンカーメンの棺桶も金で作られています。総重量は、何と100kgを超えていたとか。

中世ヨーロッパに存在した錬金術

さて、錬金術という名前。漫画好きの人であれば、結構馴染み深い言葉ではないでしょうか。中世ヨーロッパでは、この錬金術という方法によって、金を生み出そうという動きが活発になります。

ヨーロッパは、どうしても金が少なく一度に採れる量も知れていました。しかし、そんなヨーロッパも自慢できるのが技術力の高さ。みるみる技術が発展したヨーロッパでは、金を生み出す技術として、『錬金術』が生み出されたのです。

研究者たちは、あの手この手で実験を行い、あらゆる数式を並べては金を生み出そうと努力しました。しかし結果は、金を生み出すことはできなかったのです。現代技術では、金を生み出すことができるとも言われていますが、コストがかかり過ぎるので作らないみたいですよ。