KOMEHYO(コメ兵)の強みといえば、何よりも決断力の早さと行動力の高さではないでしょうか。オイルショックやリーマンショック、東日本大震災など世界規模で消費者ニーズが変化する中、迅速な対応で乗り切ってきています。

数多くのブランド品を取り扱っていますが、名古屋1店舗からスタートし、目まぐるしいスピードで店舗拡大を図り、今では全国に店舗を構えるほどになっています。

そして、創業昭和22年というとても長い歴史の中、創業理念を忘れることなく、スタッフ全員に理念が行き届く教育姿勢も素晴らしいと思います。全スタッフに理念が浸透しているからこそ、満足のいく売買が成り立ち、成長を続けているのだと思います。

コメ兵の店舗詳細

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コメ兵とは「KOMEHYO」と読みます。
創業昭和22年というかなりの老舗店舗です。
創業年数が長ければ、それだけビジネススタイルというのは変化していくもの。
コメ兵では、時代の流れに合わせて買取基準などを変更していますが、創業精神というのはいつまでも頂点に在り続けています。

会社が長く残るための秘訣として、その会社の理念がスタッフに行き届いているかどうかということだと思います。
コメ兵では、スタッフは当たり前の如くプロであれ。

自分が取り扱う商材であれば、どこのメーカー専門家よりも、巷のマニアよりも、どこの誰よりも詳しくあれ。
自分に厳しいと思われるかもしれませんが、お客様を相手にする仕事である以上、当たり前と言えば当たり前の心構えであると言えますね。

知識面でプロであることのほかでも、コメ兵では業界の常識を覆すような考え方で経営しています。それは、「安く買い、高く売る」ではなく、売るヒト・買うヒトのココロを満たすという言葉をテーマにブランド買取などを続けています。

コメ兵では、「高く買えばモノが集まり、安く売ればヒトが集まる」という創業精神を守り、「モノはヒトからヒトへ伝承(リレー)され、有効に活用(ユース)されてこそ、その使命を全うする」という企業理念を大切にしています。

需要と供給のバランスをしっかりと考えた経営スタイルは目を見張るものがありますね。

売る人と買う人双方の想いを大切に、ココロの底からの満足を目指しています。

コメ兵の歴史

創業昭和22年という古い歴史を持つコメ兵ですが、その成長経緯についてまとめてみました。

米兵商店が物語の始まり

明治30年に、今現在社名となっている「コメ兵」の由来となる「米兵」を愛知県にて創業。
創業当初は、商売を始める資金集めのために、妻が嫁入り時に持参していた着物や衣類などを行商で売るなどして資金を集めていました。

リヤカーを引き、自転車で古着を出しては行商で販売を繰り返していたそうです。
当時、古着というアイテムのニーズが非常に高く、売れ行きが良かったことが後の店舗出店へと繋がったと言われています。

昭和22年 古着屋「米兵商店」名古屋市へ出店
昭和26年4月 合資会社米兵設立

取引アイテムの拡大

米兵のビジネススタイルは、戦後間もない切実な衣料不足を解消するところからスタートしました。『高度成長期』という言葉を耳にしたことがあるかと思います。

これは、『日本人の生活水準の向上』という意味で、時計やカメラ、宝飾品といった品物を増やすことで、収益を拡大させていきました。

当初から、時代の流れに合わせてニーズのあるアイテムを自社で取り入れ販売するといった貪欲な姿勢、少しでも今人々が求めているものを提供したいという思いの強さから、米兵は着実に拡大していきます。

昭和35年を過ぎた頃では、家電製品も取り入れたもの全般を取り扱うようになり、ここから広告活動にも力を入れはじめ、名古屋で「米兵」を知らない人はいないというぐらいの会社になったそうです。

昭和45年 本社所在地の移転
昭和48年 『いらんものは米兵へ売ろう』というキャッチフレーズを利用したラジオやテレビCMをスタート。およそ15年間もの間、このキャッチフレーズを使用していたそうです。
昭和52年 名古屋市中区(大須・大須観音通り)へオーディオ機器などを取り扱う米兵2号店をオープン。(現在のKOMEHYO きもの館)

ついに株式会社米兵へ

昭和30~40年頃の高度成長期では、「使い捨ての時代」と呼ばれることが多く、中古品取り扱い店が認められること自体が少なかったそうです。

その存在を認められ始めたのが、日本でも有名な『オイルショック(昭和48年、53年)』以降だったとのことです。
このとき、株式会社米兵の新しい物語がスタートしたのです。

昭和54年5月 株式会社米兵設立
昭和61年11月 名古屋市中区(大須・赤門通)DCブランド古着を取り扱う米兵3号店をオープン(現在名古屋本店へ吸収する形で閉店しています)
昭和62年9月 CIより「米兵」→「コメ兵」へと商号変更
昭和63年9月 全国からの仕入れを目的とするため、衣料のみで宅配買取を開始。(後に全商材へと取り扱い商材の拡大)

宝飾やブランド買取の拡大

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平成3年2月にバブルが崩壊しました。
このときを境に、高額品などの買取需要を高まり始めました。
コメ兵では、ブランドバッグなどを中心としたアイテムの授業が拡大していく中、関東や関西への出店を積極的に行っていきました。
出発地点は名古屋ですが、全国から仕入れた商品を名古屋で売る精神のもと、「品揃えが豊富」なのが支持され、どんどん業績を伸ばしていくのです。

平成4年9月 郊外型の宝石店『ジュエリー専科飾り家/豊田店』をオープン。(現在KOMEHYO豊田店)
平成8年3月 東京都渋谷区に買取センター道玄坂をオープン。(現在平成19年6月移転のため、KOMEHYO買取センター渋谷へ改称)
平成9年9月 買取センター池袋 Amapo by コメ兵池袋をオープン。(現在閉店)

平成10年11月 東京都新宿区に買取センター新宿東口、Amapo by コメ兵新宿東口店オープン。(現在新宿店オープンにつき平成17年8月閉店)
平成12年4月 大阪市中央区に買取センター心斎橋、Amapo by コメ兵心斎橋をオープン。(現在KOMEHYO心斎橋店)
平成12年5月 インターネット通信販売を開始

リサイクルデパートコメ兵

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店舗展開を続けていくコメ兵ですが、事業拡大に伴い本店ビルを大幅に増床し、総売り場面積約1700坪というデパートをオープン。
貴金属、時計、ブランドバッグ、宝石、衣料、きもの、カメラ、楽器など幅広いジャンルのアイテムを取り扱い、老若男女すべてに『選ぶ楽しさ』を与えるリサイクルデパートをオープン。

ついに全国展開へ

ここからコメ兵が怒涛の店舗展開を進めていきます。
平成19年にはリーマンショックという世界を震撼させる出来事により、業績の悪化もありましたが、マーケティング強化、営業力の強化をいち早く図り、次々と店舗を拡大していきます。
1年に1店舗のペースから半年、3ヶ月、1ヶ月とスパンが短くなり、全国にその名を轟かせました。

平成23年3月11日。
私たちにとって忘れられない出来事があった日、『東日本大震災』。
日本にとってとても大きな災害となった事件ですが、この影響から『消費』というキーワードが自粛されるようになりました。
素早く組織体制を見直し、他社との業務提携、M&A、子会社設立をするなどして経営を維持し続け、店舗展開も順調に続けていきました。

平成25年には、外国人旅行客が増加していることから、『コメ兵』を『KOMEHYO』へと変更。

さらに同月に2店舗ずつ店舗を拡大していくなど、コメ兵の拡大スピードは衰えることを知りません。

コメ兵店舗情報

関東エリア
  • 東京12店舗
  • 神奈川1店舗
  • 埼玉1店舗
  • 千葉1店舗
東海エリア
  • 愛知10店舗
甲信越・北陸エリア
  • 長野1店舗
関西エリア
  • 京都1店舗
  • 兵庫2店舗
  • 大阪4店舗
中国エリア
  • 広島1店舗
九州エリア
  • 福岡2店舗