今回はある茶釜のお話。
茶釜と言っても今はもうその茶釜、壊れて無くなっています。
もし、その茶釜が現代でも壊れずに残っていたら、骨董品としてとんでもない値段がついていたか、歴史上の人物にゆかりがあるものとして、博物館などに飾られることになったでしょう。
その茶釜の名は「古天明平蜘蛛」といいます。
平蜘蛛に関わる人物
この古天明平蜘蛛。平蜘蛛や平蜘蛛釜という名でも知られています。
この平蜘蛛については知っている方もいるかもしれませんが、ある2人の戦国武将が関わってきます。
平蜘蛛のことをお話する前に、まずはその2人をご紹介しなければなりません。
1人はあの有名な織田信長。
天下に名を轟かせ、日ノ本の統一まであと僅かというところで、明智光秀の裏切りによって奇しくもこの世を去ってしまった武将です。
おそらく日本人なら、知らない人はいないのではないかと思われるほど有名ですね。
そしてもう一人は松永久秀。
「戦国の梟雄」と呼ばれ、裏切りや謀反を繰り返したことで、現代ではすっかり悪者のイメージがついてしまっています。
ちなみに「梟雄」とは残忍で勇猛な人物ということ。
松永久秀の所業として、
・以前仕えていた三好氏の暗殺と謀略。
・将軍暗殺
・東大寺の大仏の焼き討ち
この3つの悪事から主君である信長に「常人では1つも成せないことを3つも成した男」と評されています。
更にその主君である信長を2度も裏切る始末。
これでは現代に於いても悪人のイメージがつくことは免れませんね。
そんな松永久秀が本題である「平蜘蛛」の持ち主です。
古天明平蜘蛛
古天明平蜘蛛。または平蜘蛛という名前で知られている茶釜。
天明とは「天明釜」という茶釜の種類と思ってもらえれば大丈夫です。
更に桃山時代以前のものを古天明と呼びます。
何故平蜘蛛という名前がついたのかと言いうと、茶釜の形が、「蜘蛛が這いつくばるような低い形」をしていたためと言われています。
当時の茶釜としては、変わった形をしていてかつ流麗との評判で、松永久秀も大層お気に入りだったようです。
その茶釜を欲したのが織田信長。家臣である松永久秀に何度も平蜘蛛を要求していますが、松永久秀はこれを全て断っています。
しかもこの平蜘蛛、名のある人が作った茶釜などではなく、作者は不明となっています。
それでも織田信長が欲し、松永久秀も断固として譲らなかったというのですから、大層良い茶釜だったのでしょう。
松永久秀と平蜘蛛の最期
松永久秀が織田信長に対し、2度目の謀反を起こした時、信長はこれを「平蜘蛛を差し出せば許す」という打ち首が当たり前だった時代において、破格の条件を提示します。
しかし久秀はこれを拒否。
信長に渡すくらいならばと、平蜘蛛の中に火薬を詰めて、平蜘蛛もろとも自爆したそうです。
織田信長も松永久秀も茶をたしなんでおり、特に松永久秀は優れた茶人で、数々の名器を所有していたというコレクターでもありました。
しかも、久秀は以前信長に「九十九髪茄子」というこれまた名器を献上しています。
このこともあり、二度と信長に自信のコレクションを渡したくなかったのかもしれません。
平蜘蛛の行方
さて、松永久秀とともに爆発したと伝えられている平蜘蛛ですが、実はまだ現代に残っているという説もあります。
・平蜘蛛の破片を集めて復元した。
・信貴山城(久秀が自害した城)跡を掘り起こした際に出土し、信長の手に渡った。
・久秀が使ったのは偽物で本物は友人の柳生松吟庵の手に渡った。
などなど、何しろ戦国時代のことですから、逸話はたくさんあります。松永久秀の最期も自爆ではなく、平蜘蛛をたたき割ったとの説もあります。
しかし、もしまだ平蜘蛛がこの世に在るのだとしたら、およそいくらぐらいの値段になるのか気になりますね。